リッチー・ブラックモアのギター魔術: ディープ・パープルからレインボーまでの旅

ギターという楽器を手に取った多くのアーティストが、その深淵に魅せられ、独自のスタイルを追い求めてきました。中でもリッチー・ブラックモアは、ロック史において特別な存在として君臨し続けています。彼の手から生まれる音楽は、時に荒々しく、時に優雅で、まるでギターの魔術師のよう。この記事では、その魔術師・ブラックモアがどのようにしてその地位を築き上げてきたのか、ディープ・パープルの初期からレインボーの時代を経て、今日に至るまでの彼の旅路を追ってみましょう。

「少年時代のリッチー:音楽との出会い」

リッチー・ブラックモアがこの世界に生を受けたのは1945年、第二次世界大戦が終結の時を迎えようとしていたイギリスのウェストンスーパーマーア。この地で、彼は幼少期より音楽に囲まれた環境で育ちました。

家族の影響は大きく、彼の父親は多くのジャズレコードを持っており、その中で流れるリズムやメロディに興味を示していたと言います。10歳の頃、彼は初めてギターを手に取ります。これは家族の知人からのプレゼントだったとも言われています。当時のリッチーにとって、このギターは新しい世界への扉となったのです。

ブラックモアは早い段階でギターの才能を示すようになり、地元の音楽教師から熱心な指導を受けるようになりました。特にクラシックギターの技術には目を見張るものがあり、その基盤が後の彼のプレイスタイルに影響を与えていくこととなるのです。

少年時代のリッチーは、当時流行していたロックンロールやビートルズのようなバンドに影響を受けつつ、独自のスタイルを追求していきました。ギターに関する知識や技術を深めることに情熱を注ぎ、多くの時間をその研鑽に費やしました。

この時期が彼の音楽性の原点となっていることは間違いありません。リッチー・ブラックモアが後に成し遂げる数々の業績の根底には、この少年時代の経験と情熱が刻まれているのです。

「ディープ・パープルでの躍進:リッチーのサウンド誕生の背景」

guitar

ディープ・パープルは、ロックの歴史においてその名を刻んだバンドの一つであり、その中核を担っていたのがリッチー・ブラックモアでした。彼がこのバンドで示したギタープレイは、後のハードロックやヘヴィメタルの音楽シーンに多大な影響を与えることとなりました。

彼がディープ・パープルで見せるサウンドの背後には、彼自身の音楽的背景や影響を受けたアーティストが存在します。特に、彼のクラシックギターへの情熱は、彼のプレイスタイルや楽曲作成においてクラシカルな要素を取り入れるきっかけとなったと言えるでしょう。

ディープ・パープル初期の作品では、そのクラシックとロックの融合が特に感じられます。例を挙げるなら、アルバム「Deep Purple In Rock」に収録されている「Child in Time」では、彼の独特のギターソロがクラシック音楽の影響を色濃く反映しています。

また、彼が使用していた機材も、彼のサウンドを形成する要因の一つです。特に、フェンダーのストラトキャスターを使用することで得られるシャープでクリアなトーンは、ディープ・パープルの楽曲において彼のギターを際立たせていました。

さらに、リッチーはアンプやエフェクターにもこだわりを持っていたことで知られています。彼の好みのサウンドを追求するために、特定のブランドやモデルを使用していたことがマニアの間ではよく知られています。

ディープ・パープルでのリッチーのサウンドは、彼自身の音楽的バックグラウンドや使用機材、そしてバンドの他のメンバーとの相互作用の中で生まれてきました。その結果、独自のサウンドを持つバンドとしてのディープ・パープルが誕生したのです。

「”Smoke on the Water” の真実:あの名リフのインスピレーションとは?」

smoke on the water

ロックファンなら誰もが知る名曲「Smoke on the Water」。その独特のギターリフは、ギターを始めたばかりの初心者からプロのギタリストまで、多くの人々に弾かれてきました。しかし、このリフや曲の背後には、ある出来事が元となって生まれたというエピソードが存在します。

1971年、ディープ・パープルはスイスのモントルーでのレコーディングを予定していました。その際、彼らはフランク・ザッパとマザーズ・オブ・インヴェンションのコンサートを訪れることとなります。しかし、コンサート中にフレアガンが誤って放たれ、会場であるカジノが大火事となりました。この火事は、モントルーの湖を背景に煙が立ち上る様子を目の当たりにしたメンバーたちに強い印象を残すこととなります。

翌日、リッチー・ブラックモアは、その出来事を元にしたリフを弾き始めます。シンプルでありながらも強烈な印象を持つこのリフは、バンドメンバーたちにもすぐに気に入られました。そして、このリフを基にして、火事の出来事を歌詞にした「Smoke on the Water」が完成することとなります。

曲の歌詞の中にも、この出来事が具体的に歌われています。「Some stupid with a flare gun」(フレアガンを持った愚か者)や「Funky Claude was running in and out」(フランク・ザッパのマネージャー、クロード・ノブスのこと)といったフレーズからも、その日の出来事が綴られていることがわかります。

「Smoke on the Water」の名リフは、あの火事を目の当たりにしたショックや感動が、リッチー・ブラックモアの手から生まれた音楽として形になった結果です。この背景を知ることで、この曲の持つ深さや重みが更に感じられるのではないでしょうか。

「レインボー結成:新たなる挑戦と変化」

ハードロック

ディープ・パープルがロック界に残した足跡は計り知れないものがありますが、リッチー・ブラックモアはその後も音楽的探求を止めませんでした。その結果が、彼が中心となって結成したバンド「レインボー」です。

1975年、リッチー・ブラックモアはディープ・パープルを脱退。彼の音楽的志向がバンドのそれとは異なる方向に向かっていることを理由に、新たなプロジェクトを立ち上げることを決意しました。その結果が「リッチー・ブラックモアズ・レインボー」としてスタートしたこのバンドです。

レインボーのサウンドは、ディープ・パープル時代のリッチーのギタープレイを踏襲しつつも、よりメロディックで、時にはクラシカルな要素を取り入れたものとなりました。特に、彼が新たにパートナーシップを結んだヴォーカリスト、ロニー・ジェイムズ・ディオとのコンビは、ロックファンの間で絶賛されました。

ディオの力強くも情熱的なボーカルと、ブラックモアのテクニカルで情緒豊かなギタープレイは、曲ごとに異なる物語性を持つ楽曲を生み出しました。代表曲「Stargazer」では、壮大なオーケストレーションとメロディックなソロが織りなす絶妙なバランスが、ファンの心をつかんだのです。

また、レインボーはメンバーチェンジを繰り返しながらも、その都度、新しい音楽的挑戦を行ってきました。これはリッチーの音楽への探求心の表れと言えるでしょう。

レインボー結成は、リッチー・ブラックモアにとって新たな音楽的地平を切り開くための挑戦であり、彼のギタリストとしての多面性をより一層引き立てる結果となりました。

「ブラックモアの夜の音楽的要素: バロックとロックの融合」

ロックギタリストとしてのリッチー・ブラックモアの顔は広く知られていますが、彼の音楽性は一つのジャンルに留まらないものでした。特に彼のプレイスタイルや作曲には、クラシカル音楽、中でもバロック時代の要素が数多く織り込まれています。

バロック音楽は、17世紀から18世紀初頭にかけての西洋クラシック音楽のスタイルの一つで、その特徴として、豊かな装飾音や複雑な和音が挙げられます。リッチー・ブラックモアは、このバロック音楽の装飾音やフレーズを、エレクトリックギターによるロックサウンドに取り入れることで、独特の音楽的表現を築き上げました。

例として、レインボーの「Gates of Babylon」や「Still I’m Sad」の中に、彼のバロック的なアプローチが顕著に現れています。これらの曲のギターソロやアルペジオの部分で、バロック音楽的な装飾音が随所に用いられているのが確認できます。

また、彼は数々のインタビューで、クラシックギターにも造詣が深く、特にバロック時代の作曲家、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの楽曲に多大な影響を受けていることを明かしています。バッハの楽曲の中にも、リッチーが取り入れたような複雑なリズムや装飾音のフレーズが数多く存在します。

リッチー・ブラックモアが持つこのバロックとロックの融合スタイルは、彼のギタープレイの魅力の一部として多くのファンから愛されています。そして、これはロック音楽が持つ幅広い可能性や、クラシック音楽との接点を示すものとして、後の世代のギタリストたちにも多大な影響を与えています。

「現代への影響:後続のギタリストたちが語るリッチーの魅力」

リッチー・ブラックモアの技術と音楽性は、彼がアクティブに活動していた時代だけでなく、現代のギタリストたちにも大きな影響を与えています。多くのギタリストが彼のプレイや作曲スタイルから影響を受けており、彼らはリッチーを「ロックギターの先駆者」として尊敬しています。

例えば、有名なギタリストであるジョー・サトリアーニは、インタビューで「リッチーのプレイには、とても独特のサウンドとテクニックがあり、それは私のギタープレイに大きな影響を与えています」と述べています。彼は特に、リッチーの速弾きやバロックスタイルのフレーズを参考にしていると言われています。

また、スウェーデン出身のギタリスト、イングヴェイ・マルムスティーンも、リッチーの大ファンとして知られています。彼は「リッチーのギタープレイは、私がロックギターを始めた理由の一つ」と明言。特に、バロック音楽の要素を取り入れたリッチーのプレイスタイルは、イングヴェイの速弾きやネオクラシカルスタイルの形成に寄与しています。

現代の若手ギタリストたちも、YouTubeやSNSを通じてリッチーのライブ映像や楽曲を学び、彼の技術や音楽性を受け継いでいます。彼らは、リッチーの持つオリジナリティや独自の音楽感覚を尊敬し、それを自らの音楽に取り入れることで、新しいサウンドを追求しています。

総じて、リッチー・ブラックモアの影響力は、時代を超えて多くのギタリストたちに伝えられており、彼の音楽的遺産は今後も色褪せることなく受け継がれるでしょう。

最後に

ブルース

リッチー・ブラックモアは、その圧倒的な技巧とオリジナリティ溢れる音楽性で、多くのギタリストたちに影響を与えてきました。ディープ・パープルからレインボー、そして彼のソロ活動まで、彼が刻んできた音楽の軌跡は時代を超えて受け継がれています。

現在、リッチー・ブラックモアはハード・ロックから距離をおき、フォーク・ロック・プロジェクト「ブラックモアズ・ナイト」に活動の中心を移しています。一時的にレインボーを復活させましたが、日本公演はなく、寂しい思いをしたファンも多いことでしょう。しかし、ブラックモアズ・ナイトにおける彼のギター・プレイも素晴らしい!

彼の音楽に触れることは、ロックギターの歴史を学ぶこと。現代の多くのギタリストたちが彼のスタイルを継承し、さらに新しい方向性を模索しています。ハード・ロックでもフォーク・ロックでも、リッチー・ブラックモアの音楽は永遠に生き続けることでしょう。